公務員を辞めた後の日常
使っていたノートパソコンが壊れて、完全にブログを書く気力が失せていました。
今は布団の上でゴロゴロしていたら不意に書く気力が湧き上がってきて、スマホに向かって文字をパチパチ打っています。
公務員を辞めて今はとても毎日が穏やかです。
これまでに住んだことのない山に囲まれた地方都市に引っ越してきて、UberEATSの配達をして季節の変化を感じながら毎日を過ごしています。自転車を漕ぐのも、散歩するのも毎日が楽しいです。朝起きて寝不足の頭で「今日も怒られるのか…」と考えることがなくなった。それだけで毎日が輝いています。
先週は週に5日UberEATSの稼働をして7万円稼げました。今年の四月の転勤の際に買ったママチャリがこんな形で生きてくるとは思わなかったです。
おかげさまで贅沢ではないですが、月の収支はプラマイゼロで過ごせています。稼ぎのほとんどは税金や保険料にもってかれてますが……。公務員を辞めて、改めて日本の保険料や年金の高さに驚いています。
そういや、退職手当は1年4ヶ月働いて10万円でした。そのほとんどは、住民税に消えてしまいましたが。
ただ、この低すぎる退職手当と民間の失業保険の差を埋めるために、ハローワークに行けば失業保険に代わるお金が支給されるそうです。
UberEATSでも稼げなくなったら、ハロワに行こうと思います。
次は国家公務員の退職手続き、退職手当等詳細に書いていけたらなと思います。
ノートパソコンもお金と精神に余裕ができたら買いたい🥺
ドキドキ退職日
今日は退職日です。私が国家公務員である最後の日。今日は職場に行って、最後の挨拶をするはずでした。
ただ、夜に寝付けず気が付けば朝になっていて、どうしても体が起き上がらず、衝動的に職場の上司に「今日はあいさつに行けません。最後の最後に申し訳ございません」と電話をかけてしまいました。上司は優しく対応してくださって、それが辛かったです。
最後の挨拶もできないなんて、本当に社会人として失格だと思います。退職すれば解放感に包まれると思っていましたが、残ったのはほろ苦さ、後悔、職場に残った人たちへの罪悪感や申し訳なさ。なまじ精神や体調を崩す前に健康な状態で退職した分、自分が怠惰な人間であるという事実に対して言い訳が聞きません。次の職場に就職できる気がしませんが、もしできたとしても、どうせすぐに退職する気がします。
このままだと、どんどん思考が負のスパイラルに陥ってしまいそうなので、楽しいことをあえて書くと、先週、宿舎から別の場所に引っ越しました。新卒で入省してから、ずっと宿舎に入っていたため、家賃の高さに驚いています。今、手元にあるお金で果たして何か月生きていけるか。不安で不安でしようがないです。
1年ちょいの勤務で残ったのは、わずかばかりの金と細くなった肉体。職場の人間関係への恐怖に、将来への不安。そして無職独身という社会的に不利なステータス。就職市場だけではなく、婚活市場にも居場所がないですね……。
若ければ何でもできるというけれど、何かをする元気が今のところ残っていません。引っ越しの段ボールを開けることすら面倒で、段ボールが散乱した部屋で平日の昼間から、冷房代をケチって濡れタオルを首に巻いて冷えピタを額に貼って、5ちゃんねるを眺めている。それだけの一日。それに対して危機感を覚えながらも、何もしない。元気はないし、何かをしてまた今回の就職のように失敗するのが怖い。
どうして、こんなことになったのでしょうか。
無職(仮)、宿舎の片付けをする
ここ数日間、宿舎の片付けをしています。片付けをしていると、「ようやくここから解放される……!」と心が楽になっていきます。宿舎にいると、やはり私生活も全部職場に握られているような気がして、心が落ち着きません。
宿舎には8月半ばまで居座ることはできるのですが、職場の人と会うかもしれないとヒヤヒヤしながら毎日を過ごすのも耐えられないので早く立ち去りたいです。先日も、職場の人と宿舎の前で会ってしまい、私がいなくなった後の惨状を聞いてしまい、胸のドキドキが止まらなくなってしまいました。辛い。そういう状態になってくると、職がない、収入がないという自分の現状が不意に襲い掛かってきて、不安で何も手につかなくなってしまいます。安定性で公務員を選んだメンタルの弱い自分、自ら安定性を手放したのですから不安にならないはずがありません。
辞めても、辞めなくても地獄……!
宿舎の片付けをしていると、コーヒー、酒や栄養ドリンクの空き缶を至る所に見つけて、片付けていて辛くなってきました。今の職場に配置されてから初めて栄養ドリンクを飲みました。あと、最近、自分がカフェイン中毒だと気が付きました。年次休暇消化期間に入ってから、一日中頭が痛くて、コーヒーをを飲んだらふと楽になるんですよね……!今日も朝からカフェインきめちゃいました。毎日元気~!
片付けをしていると段ボールに詰める荷物がたくさん出てきます。自分はそこそこ趣味が多いタイプです。本は読むし、レコードは聴くし、ぬいぐるみもたくさん持ってます。だから、引っ越しの際は荷物は多いし、費用が嵩んで大変です。4月と今月、数か月で二度も引っ越しすることになるなんて……、お財布の中身もピンチです。少しばかりの退職金も全部、住民税の支払いに消えますし。
しかも、私、この引っ越しの際に冷蔵庫を大きいサイズに買い替えたのです。去年は、平日も毎日自炊していたので小さいサイズじゃ、少し足りなくて。ただ、残業があんなにも多いと自炊なんてほぼしないし、大きい冷蔵庫はただスペースを取るだけの無駄な物体でしかなかったですけどね……。この引っ越しで、大きい冷蔵庫は買い取り業者に売り払おうと思います。
部屋は本当に散らかっていて、掃除機のかけがいがあります。不思議なのは、残業時間が多いほど光熱費は安くなるのですが、その分部屋が汚くなるのです。宿舎にいる時間が少ないからこそ、光熱費が少なくなっているのに……。部屋のものの出し入れも減っているはずなのに、なぜ部屋は散らかるのでしょう。不思議です。
とりあえず、今は無心で部屋を掃除します。そうすることでしか、心の安定は保たれないので……。
宿舎を出た後の新居は決まりました。先週は旅行をしつつ、新居を選んでいました。ほどよく田舎でもあり、都会でもある地域です。山もビルもあります。しばらくはそこで夏の自然を味わって心をリフレッシュしつつ、UberEatsの配達でもして、第二新卒枠として働き口を探そうと思います。もう一度、公務員試験を受け直して、地方自治体に行くのもいいかもしれません。
無職(仮)、散歩する
毎日暑いです。気が付けば夏になっていました。残業を月に100時間も行うと、時間が過ぎるのがあっという間で、心はまだ5月末を彷徨っているように感じます。休日出勤がなくて、残業時間が100時間オーバーって本当に狂っていますね!
今日は、久しぶりに、少し涼しくなった夕方にのーんびりと散歩をしました。と言っても、普段自転車で向かうスーパーに徒歩で向かっただけですが。平日の夕方にスーパーに行けるなんて新鮮です。4月はまだ残業が少なくて、18時過ぎにスーパーに行けることもあったんですが、5月以降は全く行けなくて……。土日にまとめ買いしたり調理したりして、平日は日付が変わってからレンジでチンする日々が続いていましたから……。
行きの道中では、イヤホンで夏の音楽をひたすらに聴いていました!1986オメガドライブ『君は1000%』、中森明菜『サザンウィンド』、大瀧詠一『君は天然色』、浅香唯『夏少女』『C-Girl』、プリンセスプリンセス『世界でいちばん熱い夏』、石川優子とチャゲ『ふたりの愛ランド』……
ゆっくりと音楽を聴くのは久しぶりで、暑かったけどれ、歩くペースは少し遅めで音楽に聴き入ってしまいました。夏の音楽をたくさん聴いて、心も身体も無理やり夏仕様になったように感じます。
スーパーで色々買いだめして、帰りはイヤホンをせずにセミやカエルの鳴き声に耳を傾けながら帰りました。最初はよかったのですが、遠くの方から雨の臭いがしたと思ったら、気が付けばゲリラ豪雨に巻き込まれてしまいました。けれど、この経験も「夏!」って感じがして好きです。
ここまで、日記みたいなものを書いていたら急に文章が降ってきました。以下、日記未満の駄文です。
ここ数日、自分は頑張ってきたのだなと改めて思います。自分は、親兄弟があまり勉強ができなくて、だから自分は頑張ろうと思い、受験生時代は睡眠時間を削って勉強していました。その結果、無事第一志望の大学には合格しました。
ただ、その結果、自分の脳には「頑張る」=「睡眠時間を削る」、「無理をすること」だと刷り込まれてしまったのだと思います。また、不幸なことに今の職場の上司の「頑張る」ことに対する考えも、私と同じでした。だから、上司もひたすら「この1年頑張ろう」とずっと言っていました。それを聞いて私も1年頑張る気満々でした。
だから、6月末までズルズルと来てしまったのだと思います。5,6月は、ひたすら、「無理だ」と気が付くまで、「まだ自分は頑張れる」と鞭打ってたように感じます。「辞めたい」というサインは、心より先に身体がずっと出していました。今も寝ていたら、3時間おきに目は覚めるし、たまに上司に言われた言葉を思い出して、ギュッと心臓が締め付けられるように感じる時があります。(今日はスーパーでコーヒー豆を見て上司に投げられた言葉を思い出して泣きそうになりましたテヘ)
自分では辞めるという選択肢は正しかったとは思っていますが、不意に正しかったのか不安になる時があります。辞めるのは甘えではないか、と。辞めたことで、これまで頑張ってきた結果は無職という形で落ち着いてしまいます。あまりにも簡単に投げ出しすぎではないか。
だから、せめてもの足掻きとして再就職はしたいと思います。ただ、やはり不安になります。また、長時間労働がひどい職場に配属されたら?パワハラ上司がいたら? 次遭ったら、二度と立ち直れない気がします。それが怖い。
たった一度の、この春の人事配置。それだけで、自分の何かが壊れてしまいました。
恨むぞ人事配置!
年次休暇消化期間の過ごし方
年次休暇消化期間に入って、初めての週末を迎えました。
実は先週の平日は、毎日、常に1時間に一回ほど職場の同じ課の上司から電話がかかってきていました。
「あの書類ってどうなった?」「報告ってしてもらったけ」
しかし、かかってくる要件の大半は、引継ぎしたものや一度報告したものです。
上司もとうの昔にパンクしており、鬱が入ってきているのかここ1か月は話が通じなくなってきたり、忘れっぽくなってきたりしたと感じることが多々ありました。指示体系も私が辞める数週間前に崩壊したように感じました。
かかってくる電話も、向こうの声が涙声だったっり震えたりしていて、職場の異常性を実感させられます。おそらく、電話の向こう側で上司は別のパワハラ上司に脅されていたのかもしれません……。だから、年次休暇期間もいまいち完全にリフレッシュできない平日を送っていました。職場からの電話はでたくないですが、もしかしたら退職手続きの庶務関係の電話かもしれないため、出たくなくても出ざるを得ません。
さて、嫌なことは忘れて昨日土曜日は友達と遊園地と水族館に行ってきました。ここ数か月は休みの日に何するにしても、仕事のことをふと考えてしまい、楽しい瞬間でも涙が出そうになる時が多々ありました。
昨日は仕事のことを考えずに純粋に遊べて、久しぶりに幸せというものを謳歌できました。ガラスの向こうを漂う魚を、曇りない感情で楽しめました。ずっとガラスの向こうに閉じ込められた魚と、ブラックな部署にいた私。どちらが辛いのでしょうか。ただ、私は、自分で「ここは世間と比較してブラックだ」と判断して決断できました。魚は、自分の環境を外部と比較できないし、決断しても出る術はありません。やはり魚の方が不幸なのかもしれません。いや、しかし自分の不幸を不幸と認識できないから幸せなのかも……。
楽しい週末。ただ、やはり金銭面は不安になってしまいます。連れにも、昼ご飯など食べる際に、値段を気にさせてしまいました。一応、今月分のお給料は入ってきますが、来月から収入が全くないというのは不安です。家賃等もありますし。
来月から、短期でもできるアルバイト等を探そうと思いました。
今週の平日は、近所の公園で四葉のクローバー探しでもしようかなと考えています。
幸せになりたいので。
公務員を辞める理由
ブラックな職場だったから。
それに尽きます。
昨年度1年目は本部で勤務して、今年度2年目からは出先機関勤務となりました。昨年度の本部では、出先機関は本当に楽しい的な話を上司からも聞いていて非常に楽しみにしていました。
しかし、現実は
〇人手が足りず、残業時間一か月100時間越え。
〇日常的にパワハラ。自分の課の上司が、いつも別の別の上司からいつも理不尽に怒鳴られている。私が起案したら、いつも別の課のその上司にイチャモンつけられて絶対に差し戻される。暇つぶしに怒鳴られる。
〇直属の係長がうつ病で休職中。その仕事が全部2年目の自分に降ってくる。
その他etc…という有様でした。
最初の4月から6月頭は、「これが社会人か…普通の環境なのか」と自分に言い聞かせ、「今ここで辞めたら皆に迷惑かけるし頑張ろう」と自分を鼓舞して耐えていました。あえて、ここがブラックな職場だとは考えないようにしていました。ブラックな職場だと認識した瞬間に、蓋をしていた負の感情が一気に溢れ出してきそうだと、無意識的に分かっていたのだと思います。
しかし、溢れ出てしまいました。6月中旬のとある木曜日。給湯室で非常勤の職員が「ここって本当にブラックな職場」「これまで民間でも、ここまでブラックなところはなかった」「係員の〇〇(私の名前)、2年目で本当に辛いし、かわいそう」と会話しているのをうっかり聞いてしまったのです。
これまで、自分が認めようとしていなかった職場環境の悪さが、非常勤の職員によって客観的な視点によって認められてしまいました。
もう、無理でした。ここは誰が見ても辛い環境なんだ。退勤して、家に戻って、ひたすら泣きました。翌日の朝、職場に行きたくなくて、「体調が悪い」と言って休みました。職場に行くのが今の環境が自分にとって辛いということをようやく肯定できたのです。たっくさん泣いて、辞めようと決意しました。休職という選択肢は、係長の休職で被害を被ったからこそ、絶対にしたくなかったです。
たまたま翌週は一週間オンラインで研修の予定で、仕事が入らないように調整していました。辞めるのならば今しかないと思い、月曜日の朝に自分の課の課長に辞めるという意思を伝えました。
不思議なことに誰も辞めようとする私を止めませんでした。むしろ「辞めたいよなあ」「こんなところでごめんなあ」と同情的でした。それらの反応を見て、改めて辞めるという選択は間違ってないんだなあと確信しました。辞めることで周りに迷惑はかかりますが、結局それは昨年度私をここに配属することにした人事の判断ミスで、私は悪くないのだと思います。
ただ職場の人は退職賛成派でしたが、親を含めて、親戚には大反対されました。普通逆だろ。
親戚は、皆、田舎者なので国家公務員という身分は無条件にすごいと思っているのです。
「1年、2年、次の異動まで耐えたらいいじゃない……」
ジジババの1年と、20代の1年じゃ重みが違います。同じにしないで欲しい。というわけで親戚の意思は無視して、退職手続きを進めております。自分の精神、身体が一番大事ですから。
そして、研修を受けずに偉い人との面談を何個かこなして、引継ぎもして……。
今に至ります。辞めると決めてから、まだ1週間ちょいしか経っていないのです。官庁訪問で「私の長所は思い切りの良さです」と言ったのが思い出されます。嘘はついていなかった。
結局はこれまで怒鳴られないかビクビクしていた平日の昼間から酒飲んで漫画読めるの最高すぎます。6月末にはボーナスも入ってきたし万歳です。
とりあえず、ニート生活は続けながらも7月末退職に向けて庶務課とは頻繁に連絡を取り合うことになりそうです。
新卒二年目で公務員辞めます
初めまして。無職予備軍の公務員です。
予備軍というのは、今は年次休暇消化期間で一応はまだ身分的に国家公務員だからです。某省庁の出先機関に勤めております。
7月末で正式に退職する予定です。ちなみに今後の就職予定とかはありません。つまり無職予定。
「無職」
この二文字の響きに、今更ながら戦慄します。きゃーーー。今、逮捕されたら「〇〇 〇〇 無職(23歳)」とか報道されるんですね。恥ずかしい。
無職になるということは収入がなくなるということ。やばいです。社会的には透かし委ことだと思います。けれど、貯金もあるしどうにかなるだろ、とか思っている自分がいて、楽観的すぎるとは分かっています。ただ、今はあの職場から抜け出すことが一番重要な目的で、とりあえずその目的が達成できそうで、喜びに満ち溢れています。先のことは、その時になったらまた考えます。
この年次休暇消化期間に求職活動でもすればいいのですが、そんな気も起きません。私は怠惰な人間なのです。ニート生活を少しは楽しみたい。働きたくないのです。もう少しだけ、退職の余韻に浸らせて欲しい。
もちろん、親に対して申し訳ない気持ちもあります。ちゃんと愛情をもって育ててくれて、大学までお金を出してくれて、20数年間の成果物が無職。子が親を選べないのと同様に、親も子を選べないだなと、実感させられます。親には、ぜひこの困難を乗り越えて、また一つ、一人の人間として成長してほしいな、と思います。我ながらひどい息子(23歳、無職)ですね。
ただ、このまま無為に年次休暇を消費していくのも勿体ないし、親を含めて多方面に申し訳ない気もする。この期間で何かを成しえたという実績が欲しい。
ということで、備忘録的な意味合いを兼ねて、無職祝い的な意味合いを兼ねて、なぜ公務員を辞めるのか、公務員を辞めるまでの経緯を記したいと思います。この記録が公務員を辞めたいと思っている、どこかの誰かの役に立てば、嬉しいです。